親になった今、働くということについて改めて考えてみる。
何のために働くのか。
20代のころは、自己実現だったり、成長欲求だったり、承認欲求だったりした。
子供が3人生まれ、仕事、家事、育児と、担う役割や責任が増えてきた40代の今。「働くこと」への意味合いが変わってきていると感じる。
生活のために働く。こどもを養っていくために働く。経済的に自立するために働く。
「お金のため」に働く要素が大きくなった。
共働きで、夫婦仲も特に悪くないが、自分が一人の女性として経済的に自立していられる状態を保つのは、精神的な安定剤だと思っている。
そんな中、会社はどんどん成長を求める。
幸か不幸か、役職も上がり、責任範囲も広がる。
個人と、チームとしてのパフォーマンスが、どんどん成長していくことを求める。
期待される役割と、自分の能力に常にギャップがある状態が常にうまれる。
その状態に対応するために、組織力を活かせるような工夫をしたり、効率化を図ったり、、改善を模索していく。
時には力業で、時間(=残業)で対応することも多くなる。
役職があがればあがるほど、どんどん、どんどん、求められることが大きくなってくる。
家族を養うために、家族のために働いているのに、家族との時間がとれないまま、時が過ぎていく。
子供はあっという間に成長していく。
家族のために仕事をしていたのに、気が付けば大切な子供たちはあっという間に大きくなり、彼らの成長をまじかで見るという機会を失っている。
なんだか、よく聞く話だ。
何のために働くのか。
豊かさとは何か。
自分にとっての喜びは、家族の成長を近くで見守れることであり、
一緒にお風呂入る時間だったり、ご飯食べる時間だったり、ベッドにはいって絵本を読む時間だったり、ぼーっとお外を一緒にお散歩する時間だったりする。それが豊かだと感じる。幸せだと感じる。
幸せな時間の積み重ねが、幸せな人生につながるんだと思う。
子供たちと一緒に過ごす時間は、とても小さくて些細なことだし、優先順位が劣後されがちになるように思う。
そして子供は、一緒にベッドでご本よみたーい!なんて大声で泣き叫びつつ、疲れて横たわっているママを横目にあきらめて、大切な時間を犠牲にしてくれたりもする。そして、そんなそっと寄り添うような、かけがえのない時間を、自ら手放している自分がいる。
疲れすぎて、大切なものの順番がわからなくなっているのかもしれない。
1.自分
2.家族
3.仕事
そんな順番がいいんだと思う。
家族>自分 にすると、自分を見失う。
家族<仕事 にすると、本当の意味の豊かさを失う気がする。
長い人生で、一時的に家族優先とか、仕事優先、となる時期があってもよいと思う。
でも、仕事優先、の状況があまりに長く続くと、疲弊するし、本当の意味の豊かさを失う気がする。
成長痛だと言い聞かせ、頑張っている間に、自分をストレッチさせている間に、疲労骨折していることもある。
幸せな人生を送りたい。
自分にとっての幸せな人生とは、子供たちが幸せに過ごしていることであり、彼らの成長を共に過ごし、見守り続けること。
彼らの生活と未来をささえるために、働く。共に生きていくために、働く。
会社の業績向上のためだけに、仕事をしているんじゃない。
豊かさ、幸せを得るために、働いている。
忙しいという字は、心を亡くす、と書くらしい。
忙しさにかまけて、「本当に大切なものがなにか」 を忘れないように、心を亡くすことのないようにしたいと思う。